2008年6月14日土曜日

蕎麦はするするとたぐり込むのがいい。

六世菊五郎は「舞台でそば食いを演じるのはむつかしい」と語っている。

・・・・・上方者がうどんをゾロゾロと流し込むのとは違って、蕎麦は江戸っ子の食いものであり、
長く置けば伸びてしまふだけに、手早く器用にスルスルと吸い込むものなのです。・・・
ツユの中へその蕎麦先を12寸も附ければいいので、蕎麦をツユに浸して喰ふなどはいけないのです。・・・・・

当時、そばを噛んで喰うのはみっともないという気風が残っていたのであろう。
その中で。

・・・・・そばを食べたあとで、小楊枝をやっているお弟子を親父がすぐに見咎めて、
「べら棒め、蕎麦を喰ったあとで楊枝をつかう奴があるものか、噛みこなしでもしやアしめえし、
見ッともねえからよしてくれ」と言ったのを覚えています。・・・・・・・「六世菊五郎百話(昭和23年7月発刊)」

「蕎麦を喰うには楊枝はいらない、噛まないからだ、楊枝が要るような喰い方をするな」という教えです。
江戸から明治大正まではこれが蕎麦の喰い方としてひとつの作法となっていたようだ。

蕎麦を喰う作法をやかましく説く場面が小説にも登場している。
それは「我輩は猫である(夏目漱石)」。
「噛んではいけない、ユツにひたしてはいけない」と江戸っ子が上京してきた関西者に説く場面がある。

では今ではどうか。

東京の老舗「藪蕎麦」で聞くと

「決まりはありません。お客さまがお好きなように召し上がっていただくのが一番です」

たしかにそうかもしれない。それぞれの流儀で楽しめばよいということだろう。

個人的にはグジャグジャと噛むのは好みではない。
うどんでも素麺でも、麺類は噛まないで喰う方がうまい。
「ノド越しのうまさ」 はこれでしか味わえない。
口に含んだ蕎麦をぐいっと飲み込むとノドちんこを
クスグッテて胃袋に向かう。
このクスグリが「ノド越しのうまさ」 ではないか。

でもこれがむつかしい。なかなかできない。
訓練がいる。

二度食いの楽しみの極意はこれにある。
例えばうどんを噛まないで喰うと、箸の先にまだ残っているのに
先端は胃袋の中につかえているといったことが起きる。

引っ張りだすとそのままうどんが胃袋から上がってくる。
もう一度うどんを食べる楽しみがある。

但し、相客がしかめっ面をするのは止めようがない。
蔑視されようが、侮蔑のまなざしが注がれようが、
うまいものはうまいのである。

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